■日常の生活からインターネットを見る
個人的感想だが、インターネットが普及し、ここ数年情報の認識に混乱が生じた。
いろいろな情報を入手しやすくなったのだが、過去の情報のありかた、現在の情報のありかたの違いを覚え書き。

■空間的要素-様々な情報が選別される事なく出て来る(もちろん誤った情報も)
情報伝達の空間要素がなくなり、ニュースとして取り上げられられない情報もすぐにかけめぐるようになった。

■時間的要素-印刷・構成・編集・検閲?公開するまでに要する時間が無い?劣化も無い
多くの人に情報を知らせるための道具として存在していたTVやラジオ、新聞。こういう
モノに情報を載せるための生情報からの変換作業が無に等しくなった。
伝達(口頭によるコピー)などと比較すると時間的な変化や劣化も極端に少ない

■人間的要素-情報の選別がされなくなった事で専門家も個人に近く
公に出す情報は選別され、整理され、フィルタリングされていたため、1人の専門家が話しをするとそれが一般常識として全体の信じる処となっていたが、情報がフィルター無しで公に流れ出る事で、専門家と専門家の意見を比較検討するという事が可能になった。専門家の言う事が全てではなく、自分の意見と同じ方向の専門家を選ぶという事が比較的容易に、空間的に広範囲で行える。

■情報の形
情報の広範囲な視覚化
皆どのように使えるか混沌とした中から残ったものの現在の方向は、近所の噂話や日常会話の距離を拡大したものなのかもしれない。ブログの出現により、その傾向は強くなり、更に記憶のかわりに記録されることで時間経過に伴う希薄化や劣化、変形も少なくなってきている。人類の行動や思考の日常記録の蓄積になり、地球規模で空間(位置)時間(記録)人間(意思)が視覚化される。その結果人間にどのような新たな変化発生するのか。

情報の時間的劣化
ひたすら蓄積していく結果、今度は削除する重要性も出て来るだろう
現在得た情報を大量に公開しても、人間の価値観や方向は常に変化する。
それにより生活に必要な情報は法と共に状況に合わせたルールーとして出現する。
その恩恵にあづかるノウハウをサイトで公開しても、空間的な制限の無いネットでは情報の発信源に辿り付き新しい情報を得るのが生活上最善の策となる。

大きく情報を集めて記載するのではなく、情報の発信源を紹介するのが重要。
上の情報を入手するには上の情報を直接見るのが良い。劣化や変化も上にまかせる
下の情報変化は実際の足と繋がっていなければならない。劣化した情報の削除も大きな役割になるだろう。 不要な情報を自然半消去でき、必要に応じて復活+アルファできる人間はやはりすばらしいな。

と、覚え書き。